「ああ撫子さん、今日もココにいらしていたんですね。」
「はい、ここはもう数少ない『秋』の残る貴重な場所ですから。」
此処は小さなホスピスの裏にある雑木林。300年も昔に創られたこのホスピスの当時の代表者が買い取って、以降、ずっと受け継がれている。
昔は…、そう何百年も昔は、秋、という季節は3ヶ月もあったらしいが…、その話は未だに信じられない。
「でも、コレが見れるのも、あともう一週間とないんですよ?」
「一週間…ですか。」
物憂げな表情で溜息をつく彼女。その表情を見て、僕の心は、キュンと切なくなった。あの締めつけられるような、求めても手に入らないものを欲しがる、あの、恋焦がれるようなカンジだ。
「まだ…、私は生きていられるのでしょうか。」
儚げな声の調子は何故かいつもよりも僕の耳朶に残ったような気がした。このホスピスで僕が受け持つ数少ない患者が、この彼女・撫子さん。病原体も、進行のメカニズムさえも分からない、いわゆる不治の病に侵されたんだ。彼女の場合は前例者が居たのだが、そのどれもが20代後半で亡くなっている。彼女はいつ死ぬかも分からない暗雲の立ち込める日々を今まさに過ごしているのだ。
「桔梗先生は私を探しに来て下さったんですよね?」
その無邪気な笑みの裏側では何を考えているのだろう。そう思わせるような微笑は、さっきの儚さを引き摺っているように見えた。
「えぇ、朝の検査の時間にいつも居なくなるものですから。」
「それはスミマセン。」
口元に手をあてて笑うところは、正に大和撫子。彼女を見ていると、その言葉は彼女の為だけに昔の人が作ったのではないかと、真面目に思うことさえ有る。
「さぁ、一緒に戻りましょう?」
「はい。」
手を差し伸べると、彼女の透き通る程の白い手が重ねられた。僕らしくない。彼女の行動一つ一つのドキドキして、意味を探してしまう。この不思議な感情が「恋慕の情」だということには、直ぐに気付いた。こんな思いなんて、十何年振りなんだろう。照れつつも、自分の気をそらそうとしてそんな事も考えた。でも、堂々巡り。結局、僕は撫子さんが好きなんだ、という答えに行きつく。
「もう…、朝に外に出ないで下さいね。風邪を引いてしまいますし…」
一息ついて、言おうとする。でも、彼女の視線を感じて、恥ずかしくなって早くなってしまう。
「何より心配なんです。」
それでも彼女には聞きとれたのか、クスッと笑われた。顔が熱を帯びていくのを感じる。やっぱり、彼女の前だと、僕は少しおかしくなってしまう。
「フフ…、大丈夫ですよ。だって…、私が居なくなっても桔梗先生がちゃんと探して下さるじゃないですか。」
ね?と可愛らしく問う彼女に、愛しさが募って仕方がない。このまま、ギュッと抱き締めて離したくない。でも、そんな事をしてしまったら、彼女は壊れてしまうのではないか、とも思って、することはなかった。そのかわり、すっと屈んで彼女の白い指先に優しく口付けを落とした。…それにしても、僕は何でこんなに大胆な行動をしているのだろう。本当に、彼女と居る時の自分は自分でないみたいだ。
「そうですね。…では、帰りましょうか。」
恥ずかしくて、目を逸らしながら言うと、小さな赤い葉が飛んでくるのが見えた。確か…もみじと言ったか。この葉を見に、山奥へ行く人々は「冬至の紅葉狩り」といわれて、交通機関のラッシュや渋滞は今や社会現象となっている。それだけこの時代の、紅葉やもみじというものは珍しいものなのだ。
「はい。」
僕たちはふわふわと積もる落ち葉を踏みしめながら、白いホスピスへと戻っていった。さながら、闇夜に一つだけ灯る電灯に集う羽虫のように。
「お帰りなさい、先生、撫子。」
朗らかにそう言うのは、竜胆くん。撫子さん達のような不治の病を持つ人達の看護をしつつも、年寄り達の介護もし、更にカウンセラーまで務めているという、驚異的な人物だ。カウンセリングについても、臨床心理士の資格も持っているので、なかなか本格的に思える。
「只今、帰りました。竜胆先生、」
「じゃあ、検査するから、一緒に部屋に行きましょ?」
「はい。」
彼女は、竜胆くんにそう返事をすると、僕の方を向いた。
「先生、今日も探しにきてくださってありがとうございました。私、先生の事、お慕い申し上げています。」
その言葉にドキッとする。これは、僕の自惚れた聞き間違いだろうか。そうも思ったけれど、たとえ聞き間違いでも好き、と彼女から言われた幸せに僕は少し昇揚してしまったのだろう。
その気持ちが僕を地獄につき落とすなんてその時は気付かなかった。でも今なら分かる。僕は光の中へ飛び込む愚かな羽虫。
仕事もあらかた終えた午後6時過ぎ、竜胆くんが物凄い形相で僕のトコロを訪ねてきた。
「どっ…どうしたんだい?竜胆くん。」
「何でも良いから、先生、早く来てっ!撫子が…!」
その「撫子」と聞いた瞬間、僕はパニックに陥った。頭の中は真っ暗なり、彼女と、彼女の名前だけがオーバーラップしていた。
「早くっ!撫子の病室へっ…!先生!早くっ!」
竜胆くんが叫ぶ声で、僕はやっと我に還った。まだ、彼女が死んだという訳じゃない。薄い望みだとは知りながらも、彼女の病室へと駆けていった。
病室に着くと、そこにいる人たちの啜り泣く声が聞こえた。そこで、悟る。彼女はもう居なくなってしまったのだと。まわりの人を尤もらしい理由をつけて、病室から追い出した。僕は、恐る恐る彼女へと近づいていく。見下ろした彼女の表情は、とても安らかだった。愛しい彼女の面影が僕の脳裏にちらつく。気が付けば、僕はいつの間にか、彼女の唇に口付けをしていた。

「!?」
真っ白な部屋に、鉄パイプの寝台。桔梗はそんな中、布団をがばっと勢いよく剥いだ。
「夢…。今日もですか…」
今日は一段とリアルだった。桔梗は呟きながら溜息をついた。喩えるなら、リフレイン。一度起こった事実が、「睡眠」という名の「節」のあとに、決まって、彼女の事に関する「夢」という「繰り返し」の形になってまた起こっているのだ。
何故、今日の夢は、こんなにリアルだったのだろう。そう考えてカレンダーを見遣ると桔梗はハッと気付いた。今日は彼女の三回忌なのだと。かつて、誰かが言ってた。明るい光は、集う羽虫には強過ぎて、彼らは身を焼かれ、死んでいくのだ、と。僕もそうなのだろうか、と桔梗は思う。彼女の幻影に惑わされて、それに惹かれる自分は羽虫。彼女を未だ思うが故の悲しい性。きっと、自分は彼女の居る方へと直ぐに近づいてしまうのだろう、気を抜いた途端に。それでも良い。彼女に近づけるなら、たとえこの身が焼け爛れようとも、そんなことは厭わないだろう。桔梗には、何故だかそんな自信があった。
「今日の仕事は、有給を使って休ませてもらいましょう。」
そして、彼女の肉体が眠る墓地へ行って、撫子を手向けよう。たしか、撫子の花言葉は…

―――長く続く愛情


そう呟くと、桔梗は部屋のカーテンを開けた。