撫子さんは少し前に新しい楽しみを見付けたようです。
それは、人形作り。
その人形とは小さい女の子が遊ぶようなプラスチックのモノではなく、どちらかといえばパペットのようなマスコット的なもので、縫いぐるみととっても良いかもしれません。

携帯電話にぶら下がった人形を見て、あの日の事をふと思い出しました。

確かあれは二ヶ月前の事。
粕井キクという女性を訪ねてきた一人の女性が居ました。彼女の名は確か…小梅といったような気がします。
その小梅さんという方は人形や小物作りが上手いようで、そんな彼女に撫子さんは偶然出会って作り方を教えてもらったそう。
それ以来撫子さんは人形を作るのに夢中になっていました。

そんな日々の中のとある雨の日。彼女がここに来てから2回目の秋。

*

「人形を作る、というのは楽しいのですか?」

私は彼女に尋ねました。
彼女の布を縫い合わせているその表情の中に、私は小さな喜びの想いを見たのでしょう。
それに少し興味を抱いたのかも知れません。

「はい、とても楽しいものです!桔梗先生もおやりになりますか?」

微笑って私に尋ねる彼女に愛しさが募るのを感じました。

「いいえ、遠慮しておきます。ところで何を作っているんですか?」
「道化ですよ。」

後に聞いたのですが、道化というのは小梅さんが彼女の前で作っていた物だそうで、「これが出来たらもう何でも出来るわよ」と言われたそうです。

「出来るのが楽しみですね。出来たら是非私にも見せてくださいね。」
「勿論です、先生!」

微笑う彼女が本当に楽しそうで、この表情を壊したくない、守っていたい。
心の底からそう思いました。

『桔梗先生、桔梗先生。至急一階ロビーにお越し下さい。』

「竜胆先生ですね。桔梗先生……」

少し寂しそうに私を見上げる撫子さん。
ギュッと胸を締め付けられました。

「終わったらまた来ますから。そんな寂しげな表情(カオ)はしないでください。」

貴女の事しか考えられなくなってしまうんです。困ったものですね。

「約束ですよ…?」
「約束です。」

私は撫子さんの頭を優しく撫でました。
恋しくて恋しくて。愛しくて愛しくて。

「待ってますね。」

後ろ髪を引かれつつ私は撫子さんの部屋を後にしました。

*

「撫子さん?」

今更ながら撫子さんの病室は一人部屋です。
元々静かな部屋なのですが今はそこに人がいる気配は無くて、少し独特な汗のにおいとこの時期には少し珍しい突然降りだした雨音がそこには響いていました。
その雨に不安を覚えて彼女の病室の中を探しました。

そして私は見付けてしまいました。
真っ赤な血痕を。
発作が撫子さんを襲ったのでしょう。

その時は一瞬間理性を失ってしまいました。
血痕が有るのに何故彼女はいないのか。
彼女はそれならば何処にいるのか、と。
撫子さんの事で頭がいっぱいで、朧げにそう考えるので精一杯だったように思います。

そうして私は走り出しました。
その時は何も考えていなかったのでしょうが、今思えば随分と恥ずかしい事をしたものです。
もっと落ち着いて冷静になってみればもっと違う良い考えが浮かんだ筈です。
例えば院内放送を利用するとか、彼女の携帯電話に搭載されたGPS機能を使うとか。

ちなみにこの携帯電話は入所者全員に配布されるもので勿論電話やメールも出来ますが、入所者の居場所を特定するGPS機能が有ります。
私達見守る側は特にこのGPS機能を重視しています。
何故ならアルツハイマー等を併せ患っていて、徘徊する入所者も少なくないからです。


ずっと走っていると雨音に混じって微かな、それでも綺麗に澄み切っていてどこか物悲しげな謳が聞こえて来ました。

その謳につられて私はまだ一度も立ち入った事の無い裏庭の方へと回っていました。雨のせいで濡れている事さえ気付かずに。

「撫子さんっ!」
「桔梗……先生。」

撫子さんは少しバツの悪そうな顔をして傘の下でちょこんと座っていました。

「ごめんなさい…。やっぱり心配なさいましたか…?」

反省しているようなしょんぼりとした声を出されて私は怒る事は出来ませんでした。
でももともと怒る気などはありませんでしたし、むしろ彼女が無事であった事を感謝したように思います。

「勿論ですよ。」

気がつけば撫子さんは私の腕の中にいました。
彼女の冷えた温度を確かに感じました。

「でも……何故此処へ?」
「桔梗が、あったんです。」
「桔梗ですか?」

言われて見てみれば確かに。
たった一つだけでしたが桔梗の蕾がありました。
そして私は悟りました。
彼女の真意を。

「これを…守りたかったんですね。」
「…はい。」

彼女は微笑いました。
でもその微笑みのその裏で血と汗を流しているんです。
その姿は本当に死を宣告された者のようには見えなくて、風に晒されても負けない桔梗も手伝ってか生命の息吹を少しだけ感じたような気がしました。

「大丈夫ですよ、撫子さん。植物はそこまで弱いものではありませんし晴れの日ばかりでは花は咲きませんから。」

だから、一緒に帰りましょう。

「さあ、これを着てください。」

私は自分の白衣を絞って撫子さんの肩に掛けました。
彼女は少し照れたような表情を見せましたがそんな事は関係有りません。
絶対白衣有りの方が暖かいんですから。

桔梗にさしていた傘を拾いあげ、彼女を入れました。

「歌、聞こえてしまいましたか?」
「少し憂いてるような…?」

私は私を導いたその声を思い出していました。

「今時憂いの歌なんて売れませんね。」
「でも撫子さんは売る為に歌っていたのではないでしょう?」

そう私が言えば撫子さんは微笑って、「その通りですね。」と言われました。

「綺麗な歌声でしたよ。」
「所詮五十歩百歩ですよ。他人(ヒト)と比べてみてもヒトという区切りの中では。」

あの日の撫子さんをはじめはただ単にひねくれているだけかとと思いました。到着の遅れた私に。
でも今になっては神がこの世を憂いて遣わした天使だったのでは、と思うのです。だからあの日彼女は憂いていたのでは。
そして彼女が死を告げられたのは天へ戻る時だからなのでは。

理性を欠いた考えだとは分かってはいるのですが辻褄も合ってしまい、彼女に羽が無い事を理解っていてもこれを捨て去る事はできないのです。

「早く、部屋に戻りましょう。」
「はい。」

彼女の微笑みは本当に天使のようでした。

*

その翌日に私の姿の人形をいただき、昨日の話とともに竜胆先生にその事をお話しをしたら「そこはハダカ白衣で誘惑するべきですよ。」とか「水も滴るイイ男!」と茶々を入れられてしまいました。

「そうですかねえ。」と苦笑いで相槌を打った事ぐらいしかよく覚えていないのですが。

でも、きっと自慢したかったのでしょう。
撫子さんが私にくれた初めての物だったのですから。


そして私は携帯電話からぶら下がっている私を見て、見様見真似で人形を作ってみました。

それは傘を持った天使、愛しい貴女。幸せ示す道標。
そしてあの時言えなかった言葉を傘の下の君に。君を呼び続けてかれた声で。

愛してる。