「新しい入居者?」 早坂さんを送り出した直後、誰もいない筈の居間から声がした。 「可愛い子ね」 居間に入り、ソファを見れば、その上には白い着物を着た女性がひとり。 「そうですね」 体は透けていて、足がない。 「あら、興味なさげね?私みたいな美人が日頃近くにいるせいかしら」 その額には、ご丁寧にも三角形の白い布。 「それはありませんけど…。ところでお明さん、」 「コーヒーが欲しいわ」 端から赤い血が垂れている唇が動いた。 「お明さんて江戸時代の人ですよね?」 やかんを火にかけながら問い掛けると、お明さんは退屈そうに欠伸をしながら言った。 「ええ、そうよ」 「その割には、趣味趣向とか言葉使いが」 「ナウいでしょう?」 お明さんは僕の言葉を横取りして言った。 「その言葉を使うあたりは微妙ですけど…、まあどちらにしろ、江戸時代から見れば、かなり近代的ですよね」 「幽霊は学ぶ葦である」 お明さんは人差し指を立てて、続けた。 「そして、人間と幽霊は忘れる葦である。広ちゃん、中高で学んだ英語は喋れる?」 「まさか」 「そういうことよ。人も幽霊も使ってない記憶は忘れてゆくの」 お明さんは再び欠伸をした。 「成る程。ところでお明さん、」 「やかんが鳴いてるわ」 お明さんはふわりとソファから浮かび上がって、台所を指差した。 チーン… 仏壇の前に出来上がったコーヒーを置き、鈴の端を打ち鳴らした。 背後でポン、という軽い音が鳴った。 「ありがとう。届いたわ」 お明さんの手には音とともに出現したコーヒーカップが。 「いえいえ」 お明さんはソファの上で優雅にコーヒーを飲む。 「で、お明さん、」 「広ちゃんも飲んだら?コーヒー」 「ああ、はい、いただきます」 仏壇の前、先ほどお明さんに送ったコーヒーを手に取り、口に運ぶ。 少し、風味が薄れているように思えた。 「ところで、お明さん、」 「広ちゃん、最近痩せたんじゃない?駄目よ、きちんと」 「お明さん」 お明さんの話を遮る。 もうそろそろ我慢の限界だ。 「話を逸らさないでください。そうやって話を逸らしてるということはわかってるんですよね、僕の言いたいこと」 「ええ、わかってるわ」 「だったら、早く払って下さいね。家賃」 「ええ、わかったわ。ごめんなさい」 「わかればいいんです。わかれば」 僕は少し冷めたコーヒーを飲み干して、ソファの上で俯いているお明さんを見下ろした。 「じゃあ、私、もうそろそろ帰るわね」 「そうですか。お気をつけて」 「あ、そうだ、そのダサいファッションともじゃもじゃの髪、どうにかしなさいよ」 お明さんは玄関口でそう言った。 「それと、相手が謝ったらすぐに許す癖もいい加減なおした方がいいわよ?私としては嬉しいけれどね」 「?」 よく意味がわからない。 「だからすぐに家賃踏み倒されるのよ。」 僕が首を傾げると、お明さんはくすくす笑いながら玄関の扉をスゥゥ、と通り抜けて行った。 「あ」 お明さんの言った言葉の意味に気付いたのは、先ほどのコーヒーカップを洗い終えたときだった。