「ん」 短く彼が呟いたのが解った、と同時に一気に顔をあげる。 すううと肺いっぱいに新鮮な空気が入って、逆にそれが苦しくて咽返る。 私の滑稽な姿を見ながら、彼は満足そうに声をあげて笑う。 「苦しかったか?」 「、げほっ、つ」 「なあ」 言葉が通じないのだ。 彼の前ですべての言葉は意味を成さない。 目の前の浴槽が歪む、中の水がじゃぶじゃぶと零れ私の服を濡らす。 逃げなくては、そう思うはずなのに私の体はぴくりともしない。 もう意識すら、捕まってしまった 「、苦しいだろ」 「・・・けほっ」 「でもな、俺はもっと苦しかったよ」 部屋に入るやいなや手を引かれ浴室に閉じ込められた。 訳も解らず呆然とする私の顔面を、半分ほど張った浴槽の水面に押し付けた。 何の準備もしていない私はごぼごぼと空気を逃していくのみで、もがき抗う。 ほんの少し意識が遠くなったところで力を緩められ、空気の補給を許される。 その繰り返しがかれこれ5回ほど続き、今に至る。 「なんで、こんなっ」 「何で?」 彼が私を嘲笑う。 びくりと揺れる肩が目の端で見えた。 真っ直ぐに私を捉えたその瞳は逃げることを許さない。 (、どうしよう) (もしかしたら、殺される) 「お前がいけないんだろ?」 「なに、」 「お前が、俺だけ見てないから」 また、だ。 まさかとは思っていたが今回の件ではっきりした。 彼は被害妄想癖をもっている。 私は幾度、彼に問い詰められたのだろう。 その度に否定し、口論になり、終いに私は何時も泣いてしまう。 「いっそ、殺しちゃおうか」 「、やめて」 「誰もみえなくなるように」 「やめて、やめてよ、」 「誰が悪いと思ってるの?」 射殺しそうな目が私を捉える。 がたがたと震える体。 涙と水でぐちゃぐちゃになった私をみながら、彼がふっと笑う。 「嘘、冗談。そしたら俺も生きてない」 いつか、 雨の日後の空がきらきら光っていて目を凝らした。 そこには銀色の蜘蛛の糸が張り巡らされていて、 あの小さな捕食者はそうして獲物を獲るのだと感嘆した。 だってその糸はあまりにも銀色で、煌々として、思わず手を、伸ばすような。 「冗談だよ」 「っふ」 「どーしたの、何で、泣くの?」 「・・・っ」 「なあ、何か言ってよ、なあって」 冷たい体に降るキスを、私の体は受け入れた。 だってもし拒んだら、私きっと殺されてしまう。 痛む首をやっと上にあげると、優しく微笑む彼と目が合った。 ああ彼は戻ってきた、そう思い唇を合わせた。 「っ」 「これは、罰」 噛まれた唇から、苦い鉄の味。 少しずつ、私は逃げられなくなっていた。 張り巡らされた銀色から、逃れることはもう出来ない。 (でも) (いいの) だってわたし、あなたに食べられるのを待っていた。