ジャラ、と音が鳴る。 「何をやっているんですか、槐(エンジュ)先生?」 「ああ、桔梗か。いや、何となく落ち着かないだけなんだ。」 僕は苦笑いしながら傍に立つ桔梗を見上げる。 とても温厚で、優しくかつ聡明な人物だ。 このホスピスに居る全ての人間が桔梗を信頼している。 そんな事に少し思いを馳せていると、手の中から小さな立方体が零れ落ちた。 「あ……。」 「サイコロですか。」 それこそが音の正体。 出た目は赤い点。 今日は何故だかその色が不吉に思えた。 「そういえば昔、よく皆で双六をやりましたね。毎回槐先生が勝ってしまうので私はつまらなかったのですが。」 懐かしそうに微笑う桔梗を見て、僕も微笑う。 いつしか昔を思い返していた。 すぐに終わってしまうからと、備え付けのルーレットではなくて僕の持っている賽を投げる。 六面では出来ないからイベントだけは仕方なく回した。 「イチ抜け〜!」 「一出してイチ上がりなんて随分と良い御身分ねぇ、槐?」 「竜胆姐さん、そうカッカしないでよ〜。上がっちゃうモノは仕方無いんだから。」 その頃姐さんは一体何歳だったんだろう。 それは覚えていないけれど、あの時姐さんが見せた笑顔はどこか痛々しかった。 「少しは手加減というものを知りたまえ。」 「教授の言う通りよ、槐。ほら、桔梗ちゃんがカリカリしてる。」 ああ、そういえばあの二人は結婚したんだった。 たまにここに遊びに来るけれど、それもそこまで頻繁じゃない。 あの時の教授はどこか孤独であったし、鈴蘭は見せまいとしていたけれどその言動の深い所には劣等感が付き纏っていたように思う。 「いえ、私は別に……。」 そう言う桔梗は苛立っていたのではないだろうか。 今となっては本人が教えてくれたが、あの時の桔梗は自分を見失っているような感じがした。 「ほら、もう一回やりましょ!槐は10ターン休みで。」 「姐さん、そりゃあ無いよ〜。」 そして、僕は怯えていた。 幼い頃に現れたもう一人の自分。 今は眠っているその存在に、いつ自分を乗っ取られてしまうかがいつも気にかかっていた。 「それなら興じてみるのもまた一興だろう。」 「最後に勝つのはあたしよ!」 なんだかんだ言って、皆隠していたんだ。 自分のプライドか、それとも単なる防衛本能か。 自分を守ろうと必死で他人を受け入れまいとして、自分の首ばかり絞めていく。 そんな日々だったのかもしれない。 そんな日々に皆は終止符を打った。 それなりに平穏で、安らかで、愛情に満ちている生活。 正直に言えば羨ましい。 僕が存在する限り、眠っていてももう一人は息づいている。 確かに、それを感じる。 だけれど薬などを使おうとは思わないのもまた事実だ。 薬は完璧ではない。 もう一つの人間を解放して起こる事は、どちらかの人間の消滅。 こういう場合において、表に出ない方が強いのが一般的だ。 えてして影というものは、表に出てこない存在というものは自分の内側を知り尽くしているのだろう。 だからかも知れない。 支配されるような錯覚に囚われてしまうのは。 それに薬を使えば回りに迷惑を掛ける事は目に見えている。 それだけは嫌だった。 片を付けるなら自分の手で終わらせたいし、なにより一時でも桔梗や姐さんの邪魔になるのかと思うとそれがやけに申し訳なくなる。 だからといって消えてしまう訳にはいかない。 それは自分の診る患者さん達の為に。 ああ、そうだ。 患者といえば…… 「槐先生?」 ふっと現在(イマ)に引き戻された。 紛れも無く、これは現在だ。 視界の端に捉らえる白いような灰色のようなデスク。 その上にある色つきのクリアファイルに沢山のダイス、そして枠に入った写真。 僅かに見えるそれにはあの時の痛々しさが見事に、確かに記録されている。 「……槐先生?」 そして、目の前には桔梗だ。 その穏やかな顔つきに困った表情。 桔梗はイライラしている様子よりもこちらの方が断然似合っている、とそう思った。 「ごめん、桔梗。調度昔の事を思い返してたんだ。」 「そうだったんですか。」 困った表情が柔らかく崩れ去る。 「ねえ、桔梗。」 「何ですか?」 「……また、皆で写真を撮れると良いね。」 言いたかった事は言えず終い。 掌に残った立方体を、僕はデスクに放り投げた。