――遅い。 時計を見る。現在、午前十一時三十五分。 待ち合わせていたのは十時。メールまで見返したがまちがいはない。何かあったのか、という考えが浮かぶが一瞬にして消える。連絡がないのだから、完全に遅刻だろう。 待ち合わせの時間をもう少し遅くすればよかったな、と後悔した。夜型の彼にとって朝十時は深夜だ。 ――寒い…。 手をこすり合わせて息を吐く。あっと言う間に白い霧となって飛び散った。二枚かさねたミトンの手袋がありがたい。下にある一組は、彼からのプレゼント。 ケータイが鳴った。電話だ。 「はい」 『えーっと…もしもし?』 「もしもし」 『さくら?』 「他の方にかけるあてがおありなら違うでしょうね」 『怒ってる?』 「はい」 『そこ、そんなかるーく言うところかな…』 「何か」 『あ、いえ、なんでもないです』 「…今、どこに」 『……』 「家、ですか」 『…はい』 蚊の泣くような声が聞こえた。彼女はため息をつく。 『ごめんなさい』 ドタンバタンと音がする。その辺のものをひっくり返したようだ。 「どうしたんですか」 『いや、調べもの用の本ひっくり返しちゃって』 「レポートにそこまでこだわらなくてもいいのに」 『どうせ書くんだったらとことんやりたいんだ』 そう、その言葉通り。彼の書くレポートは内容が豊かで綿密だ。教官の評価は常にAマルである。 「終わったんですか」 『うん。急ぐよ。だから、待ってて』 「待つことには慣れてますので」 彼の謝罪が聞こえる前に電話を切った。 もうあと何分もすれば、髪はぼさぼさで今にも転びそうになりながら走る彼が見えてくるだろう。 彼女はいつも待たされて、彼はいつも待たせている。 それでも、待ち合わせたのを後悔したことは一度もない。